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東京高等裁判所 昭和53年(ネ)2946号 判決 1982年5月27日

控訴人 守屋栄 ほか八名

被控訴人 国

代理人 坂本由喜子 萩原武 ほか三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら控訴代理人は、「原判決を取り消す。控訴人守屋栄が原判決末尾添付目録記載(一)の各土地につき、同鎌田孝太郎が同目録記載(二)の各土地につき、同名和アサが同目録記載(三)の土地につき、同川口辰彦が同目録記載(四)の土地につき、同平本政美が同目録記載(五)の土地につき、名守屋伴男が同目録記載(六)の土地につき、同石黒ツヤが同目録記載(七)の各土地につき、同平本兼次が同目録記載(八)の各土地につき、同倉沢尚司が同目録記載(九)の土地につきそれぞれ所有権を有することを確認する。被控訴人は、控訴人鎌田孝太郎に対し原判決末尾添付目録記載(二)(2)の土地上にあるアンテナポール(無記号)一本を、同川口辰彦に対し同目録記載(四)の土地上にある「芥を捨てるべからず 日本政府」と記載してある立札一枚を、同守屋伴男に対し同目録記載(六)の土地上にあるアンテナポール(TMC二三九五二)一本を、同石黒ツヤに対し同目録記載(七)(2)の土地上にあるアンテナポール(CASOADE六五)一本を、同平本兼次に対し同目録記載(八)(2)の土地上にある「米軍施設 在日米軍 無断立入は日本の法律により罰せられる」と記載してある立札一枚をいずれも撤去せよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人指定代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

当事当双方の事実上の主張及び証拠関係は、次に訂正付加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

(原判決事実摘示を訂正する点)

原判決四枚目裏末行の「大正一五年四月二六日」の次に「守屋角之助から」を、同五枚目裏八行目の「相原昌訓は、」の次に「昭和四四年七月二九日」を、同六枚目裏五行目の「大正九年七月七日」の次に「平本甚左エ門から」を、同七枚目裏三行目の「協定一八条」の次に「五項」を、同一〇枚目表一行目の「であつたから、」の次に「権利移転の許可がない以上」をそれぞれ加入し、同一一枚目裏五行目から六行目にかけて「太平洋戦争終結後間もなく連合国軍に接収され、一旦接収が解除された」とあるのを「太平洋戦争終結後の昭和二〇年八月二〇日連合国軍に接収され、昭和二二年一〇月一六日一旦接収が解除された」と、同二〇枚目表九行目の「原告名和」を「控訴人(原告)石黒」とそれぞれ訂正する。

(当審における控訴人らの主張)

一  昭和一八年一一月二四日当時における原判決末尾添付目録記載の各土地(以下「本件係争地」という。)の所有者である控訴人守屋栄、鎌田登一(控訴人鎌田孝太郎の先代)、相原美代吉(控訴人名和アサの前所有者兼同川口辰彦の前々々所有者)、平本七郎(控訴人平本政美の先代)、守屋房吉(控訴人守屋伴男の先代)、川口製糸株式会社(控訴人石黒ツヤの前所有者)、控訴人平本兼次(控訴人倉沢尚司の前所有者でもある。)の七名(以下「控訴人守屋栄外六名」という。)と被控訴人(旧海軍省)との間においてなされた本件係争地に関する合意(以下「本件合意」という。)は、売買の予約にすぎないものというべきところ、被控訴人の右予約完結権は時効により消滅した。すなわち、

昭和一八年一一月二四日、控訴人守屋栄外六名を含む被買収者が本件係争地に近い瀬谷国民学校に集められて被控訴人への土地売渡承諾書(乙第三五号証)を捺印した際には、未だ買収対象地が特定されていなかつたのであり、その後、一筆の土地の全部が買収されたものについては昭和一九年四月一日改めて所有者らの土地売渡承諾書が作成され、同日を売買の日とする被控訴人への所有権移転登記が経由されたが、一筆の土地の一部が買収の対象とされた本件係争地については昭和一九年一一月二九日に至り土地台帳上分筆の手続がなされたにとどまつているのであるから、右係争地に関する本件合意は売買の予約にすぎないというべきである。そして、被控訴人は、右昭和一八年一一月二四日又は昭和一九年一一月二九日以降予約完結権を行使しうる状態にあるのにこれを行使しなかつたのであるから、その一〇年後である昭和二八年一一月二四日又は昭和二九年一一月二九日の経過をもつて被控訴人の予約完結権は時効により消滅したというべきである。

そこで、控訴人らは、本訴において右消滅時効を援用したから、本件係争地の所有権は被控訴人に移転しないことに確定し、右は控訴人らに帰属しているというべきである。

二  本件係争地に対する被控訴人の占有は所有の意思を伴わないものというべきであるから、被控訴人は右土地を時効取得することはできない。すなわち、被控訴人は、国有財産の状態を常に明確にしておくべきであるのに二六年間もの長きにわたり、本件係争地につき所有権移転登記を経由することも、その他の権利保全のための努力もせず、かつ、控訴人守屋栄外六名及びその承継人から地租や固定資産税を徴収して来たのであるから、本件係争地につき売買契約が成立していないことを認識していたものというべきであり、仮に被控訴人が本件係争地の占有を継続して来たとしても、該占有には所有の意思が存しなかつたものというべきである。したがつて、被控訴人のために本件係争地につき取得時効が成立するいわれはない。

三  本件(九)の土地は、登記簿上の地目が山林であるところ、控訴人倉沢が同平本兼次からこれを買受けた昭和三七年五月一九日当時は山田善作がこれを耕作していたとしても、その後の食糧事情の好転に伴い、原審において検証が実施された昭和四七年八月三日当時もしくはその後において右耕作は放棄され、その現況は再び山林に戻つているのであり、かつ、本件係争地付近は近年宅地開発が盛んで本件(九)の土地も宅地として造成される可能性が生じて来たのであるから、右土地の売買は農地法五条による知事の許可を要することなく有効なものとなつたというべきである(最高裁判所第二小法廷昭和四四年一〇月三一日判決、民集二三巻一〇号一九三二頁参照)。

(右主張に対する被控訴人の認否反論)

控訴人らの主張一ないし三はいずれも争う。

一  仮に本件合意が売買の予約であるとしても、被控訴人は、昭和一八年一一月二四日ころ以降本件係争地を含む被買収地の周囲に有刺鉄線を張り、昭和一九年一一月二九日本件係争地につき土地台帳上分筆の手続をしたのであるから、右は控訴人守屋栄外六名に対する黙示の意思表示による予約完結権の行使であるというべきである。

二  控被訴人は、控訴人守屋栄外六名から本件係争地を買収したのであり、被控訴人が所有の意思をもってこれを占有して来たことは明白である。

三  耕作者が農地の耕作を放棄したとしても、その一事をもつて直ちに農地が非農地化するいわれはないし、また、本件(九)の土地を含む付近一帯は、米軍の上瀬谷通信施設の敷地内ないしはその近くにあり、右通信施設による電波障害が生じていることなどもあつて、市街化調整区域に指定されているのであるから、近い将来これが宅地化される可能性は存しない。

(証拠関係)(略)

理由

本件につき更に審究した結果、当裁判所も、控訴人らの本訴請求はいずれも失当として棄却すべきものと判断するものであり、その理由は、次に訂正付加するほか原判決説示理由のとおりであるから、ここにこれを引用する。

(原判決説示理由を訂正する点)

原判決二四枚目表五行目の「大正一五年四月二六日」の次に「守屋角之助から」を、同二四枚目裏末行の「大正九年七月七日」の次に「平本甚左エ門から」を、同二五枚目裏一行目の「であつたから」の次に「、権利移転の許可がない以上」を、同二六枚目表九行目の「証人相原昌訓の証言」の次に「及び弁論の全趣旨」をそれぞれ加入し、同二六枚目表九行目から一〇行目にかけて「昭和四五年相続」とあるのを「昭和四四年七月二九日相続」と訂正し、同二六枚目裏八行目の「この主張は採用しない。」の次に、行を改めて、「また、被控訴人(被告)は本件(四)の土地は右売買契約当時現況が農地法上の農地であつたから、権利移転の許可がない以上、右売買契約は効力が生じない旨主張するが、右主張を採用できないこと前記2(二)第二段に説示したと同様である。」を加入し、同二七枚目表六行目と同三二枚目表六行目の「買受け」の次の「てその所有権を取得し」をそれぞれ削除し、同三三枚目裏一行目の「1」の次に「前掲甲第一二、第一三、第一六号証、成立に争いのない甲第一五号証」を、同三三枚目裏二行目の「第三七」の次に「、第三八」を、同三三枚目裏七行目の「甲第二一号証の二」の次に「(原本の存在も認められる。)」を、同三三枚目裏八、九行目の「守屋栄」の次に「(原審及び当審)」をそれぞれ加入し、同三六枚目表六行目の「成立に争いのない」を「前掲」と、同三六枚目裏八行目の「前記一」を「前記1」と訂正し、同三六枚目裏一一行目の「川口三省、」の次に「原審及び当審における」を加入し、同三七枚目表一〇行目の「(本件(七)の各土地を含む)」を「(本件(七)の各土地が含まれているかどうか必らずしも明らかでない)」と、同三八枚目表一行目から二行目にかけて「本件係争地が太平洋戦争終結後間もなく連合国軍によつて接収され、その後一旦」とあるのを「本件係争地が太平洋戦争終結後の昭和二〇年八月二〇日連合国軍によつて接収され、その後昭和二二年一〇月一六日一旦」と、同三八枚目表八行目の「同月六日」を「昭和三九年一一月六日」と、同三八枚目裏八行目に「太平洋戦争終結後間もなく接収され、その後一旦」とあるのを「太平洋戦争終結後の昭和二〇年八月二〇日接収され、その後昭和二二年一〇月一六日一旦」とそれぞれ訂正し、同三八枚目裏末行の「継続したが」の次に「(この事実は当事者間に争いがない。)」を加入し、同三九枚目表二、三行目の「現地調査したうえ民有地との境に杭を埋設した」を「現地調査したが、その時点において既に民有地との境に杭が埋設されていた」と訂正し、同四〇枚目表八行目の「第五一号証、」を削除し、同四〇枚目表一〇行目の「第四九号証、」の次に「第五一号証、」を加入し、四一枚目表六行目の「一四筆」を「土地」と訂正し、四一枚目表一〇、一一行目の「成立に争いのない」を削除し、四一枚目裏八行目の「一四筆」を「土地」と訂正し、同四二枚目表六行目の「前記一五筆を含む二七筆」、同四二枚目裏五行目の「(七)、」をそれぞれ削除し、同四四枚目裏一行の「守屋栄」の次に「(原審及び当審)」を加入し、同四六枚目表九行目の「要件の一つとするが、」から同四七枚目表一〇行目の「するまでもなく、」までを「要件の一つとする。そして、本件係争地の売買契約締結後、貨幣価値及び土地需給関係の著しい変動に基づき本件係争地の価額が右契約締結当時のそれと比較するとすこぶる高額なものとなつたことは明らかであるが、右契約がそれに基づく買主側の売買代金の支払も売主側の所有権移転登記手続も未履行のまま現在に及んだことについては、まずもつて、右契約の締結を主導した被控訴人の履行及びそれに先立つ調査、折衝の不充分、遅滞が責められるべきであるが、それと同時に、自ら売買に当り、本件係争地の引渡も了しながら、昭和三六年ころまで約二〇年近くも、売買代金請求の挙に出ず、あたかも売買など存在しないに等しいもののごとく推移した控訴人守屋栄外六名又はその承継人の態度にも一半の原因があるというべきであること、被控訴人が平和条約発効後現在に至るまで長期間に亘り、条約などに基づき本件係争地を含む前記買収対象地をアメリカ合衆国軍に提供しており、米軍は右土地を通信施設として使用し、現に本件係争地上にも三基のアンテナポールが存在しているため、もし本件係争地の売買契約が失効し、被控訴人が本件係争地の所有権を喪失するときは、当該土地提供関係に支障をもたらすことは明らかであることに照らすと、本件においては、控訴人らに本件係争地の売買契約の解除権を賦与するに値する前示要件は具備していないものというべきである。それ故、」と、同五一枚目表八行目の「昭和四五年」を「昭和四四年七月二九日」とそれぞれ訂正し、同五三枚目裏三行目から一〇行目までを削除し、同五四枚目表三行目から四行目にかけて「連合国軍が戦後間もなく本件(三)の土地を接収し、その後一旦」とあるのを「連合国軍が昭和二〇年八月二〇日本件(三)の土地を接収し、その後昭和二二年一〇月一六日一旦」と訂正し、同五五枚目裏末行の「、その結果」から同五六枚目表二行目の「不利益を受けたこと」までを削除する。

(当審における控訴人らの主張に対する判断)

一  控訴人らは、控訴人守屋栄外六名と被控訴人との間でなされた本件合意は売買の予約である旨主張し、そのことを前提として予約完結権の時効による消滅を主張する。なるほど、昭和一八年一一月二四日被買収地につき売渡承諾書(乙第三五号証)が作成された後、一筆の土地の全部が買収されたものについては昭和一九年四月一日改めて土地売渡承諾書が作成され、同日付の売買を原因として被控訴人への所有権移転登記が経由されており、また、一筆の土地の一部が買収された本件係争地については昭和一九年一一月二九日土地台帳上分筆の手続がなされたにとどまつていることは控訴人ら主張のとおりであるが、登記は売買成立の要件をなすものではなく、登記簿上の登記原因たる売買の日と現実に売買契約の締結された日とが相異することや一筆の土地の一部の売買において現地でその範囲を特定し、分筆手続は未了のままでこれを売買の対象とすることは、土地の取引においてさして珍らしいことではないから、同時に一括買収された他の土地につき登記が経由されていること、その登記簿上の登記原因たる売買の日が昭和一八年一一月二四日売渡承諾書作成の後とされていることの故をもつて、右売渡承諾書が作成された段階では当該土地の売買予約がなされたにすぎないとみなければならないものではなく、したがつて、同じ日に作成された売渡承諾書をもつてなされた本件係争地に関する合意もこれを売買の予約であると解すべき理由はないし、また、分筆手続が未了であつたことは本件合意を本件売買と解することの妨げとはならず、本件の全証拠によるも本件合意をもつて売買の予約であると認めるに足りない。

したがつて、本件合意が売買の予約であることを前提とする控訴人らの前記主張は前提そのものを欠き失当というほかはない。

二  控訴人らは、被控訴人の本件(三)土地に対する占有には所有の意思が伴つていない旨主張する。しかし、本件(三)の土地につき被控訴人が所有権移転登記を経由していないことの故をもつて被控訴人に売買契約成立の認識がないということができないことはいうまでもないし、また、本件(三)の土地の前主である相原美代吉に対する昭和一八年以降における地租、固定資産税徴収の実情について原審証人相原昌訓の供述するところは簡に過ぎて心証を惹くに十分でなく(所有の意思に対する反対証明としての適確性に欠ける。)、他にこの点を証する資料は見出せず、更に、<証拠略>によれば、昭和三七年五月一九日控訴人平本兼次から本件(九)の土地を買受けた控訴人倉沢には右土地の固定資産税は賦課されていないことが認められ、これは右土地の課税標準額が免税点以下であるためと推認され、右事実<証拠略>に控訴人名和から本件係争地に対する固定資産税納税通知書、領収証などが提出されていないことをあわせて考えれば、昭和三五年二月八日相原美代吉から本件(三)の土地を買受けた控訴人名和に対しても同様の理由で固定資産税は賦課されていないものと推認されるから、被控訴人が控訴人らに対し本件係争地の公租公課を賦課徴収し続けているとして、被控訴人に売買成立の認識がないとする控訴人らの主張は当らない。かえつて、<証拠略>によれば、被控訴人は、昭和二八年三月買収にかかる国有地を測量して国有地と民有地との境界を明確にしていることが認められる。それ故、被控訴人に所有の意思がないということはできない。

三  控訴人倉沢は、本件(九)の土地は元来の地目が山林であるうえ、その現況も再び山林に戻り、かつ、宅地として開発される可能性が生じたから知事の許可を要せずして、これを買受けた控訴人倉沢の所有に帰した旨主張する。本件(九)の土地の地目が山林であることは明白であるが、控訴人倉沢がこれを買受けた昭和三七年五月一九日当時、右土地の現況が農地であつたことは前説示のとおりであり、原審における検証の結果によつては、それが実施された昭和四七年八月三日当時、本件(九)の土地が非農地となつていたことを認めるに足りないし、当審における<証拠略>により同控訴人が昭和五四年三月二三日本件(九)の土地を撮影したと認められる<証拠略>によつても、右土地が右日時には耕作されないで放置され荒地となつていることが認められるにとどまり(本件(九)の土地が荒地となつたのは昭和四〇年ころである旨の控訴人倉沢の供述は措信し難い。)、その現況が山林に戻つたことまでを肯認することはできない。また、近い将来本件土地が宅地として造成される可能性が生じたとの主張もこれを認めるに足りる的確な証拠はない。

却つて、前掲検証の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件(九)の土地は検証当時農地となつていたところから、検証の後である昭和四八年九月四日の原審第一三回口頭弁論期日において、被控訴人から右土地は農地である旨の主張がなされるに至つたものであること及び右土地の付近には米軍の通信施設があり、該施設による電波障害が生じていることも一因となつて付近一帯は市街化調整区域に指定されていることが認められる。

したがつて、本件(九)の土地の地目が山林であり、現在これが耕作の用に供されないで荒地となつていることから、直ちに右土地につきなされた売買契約が知事の許可を要せずして有効なものとなり、その所有権が控訴人倉沢に移転したとすることはできない。

(原判決説示理由を変更する点)

次に述べるとおり、当裁判所は、被控人名和はいわゆる背信的悪意者にあたり、被控訴人に対し本件(三)の土地につき登記の欠缺を主張しえないものと判断する(原判決四九枚目表七行目からその裏七行目までの説示を本項のとおり変更する。したがつて、本件(三)の土地に対する被控訴人の取得時効を認めた判断≪先に引用した原判決説示理由五及び前記二参照≫は仮に同控訴人が背信的悪意者と認められないとしても、なお、同控訴人の本件(三)の土地の所有権を肯認できない理由として付加するものである。)。すなわち、

前述のとおり、被控訴人は昭和一八年一一月二四日控訴人守屋栄外六名から本件係争地を買収したものであり、他方、控訴人名和は昭和三五年二月八日相原美代吉から本件(三)の土地を買受けたものであるところ、<証拠略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、(1)川口三省(以下「三省」という。)は、昭和三四年一〇月ころ、自己が代表取締役の地位にありそのころ解散した川口製糸株式会社の財産を整理していたところ、たまたま、太平洋戦争中被控訴人に買収された土地のうち本件係争地については被控訴人への所有権移転登記が経由されていないことを発見し、その後昭和三六年ころ、当時の本件係争地の所有者と善後策を協議したこと、(2)これより先昭和三五年二月八日相原美代吉が本件(三)の土地を横浜市西区西久保町に居住する控訴人名和に売渡し、同控訴人が同日所有権移転登記を経由したこと(右登記の事実は当事者間に争いがない。)、(3)本件係争地は、太平洋戦争中は旧海軍が火薬庫の敷地として、戦後は連合国軍、次いで米軍がその通信施設の敷地として使用管理して来たものであり、このことはその周囲に張りめぐらされた有刺鉄線(但し、昭和二八年ころには撤去された部分が多い。)並びに本件係争地の上に立てられたアンテナポールや立札などにより何人においても容易に知りうる状況にあつたこと、(4)三省は、昭和三六年ころ当時の本件係争地の所有者の代表者格として、関東財務局横浜財務部を訪れて本件係争地につき質問調査していること、(5)控訴人名和は、一般の所有者としてなすべき買受地の管理には殆んど関心を示さず(現に同人は右土地の買受後二〇年近くの間に一、二回しか現地にいつていない。)、買受地に関する国との折衝を三省に一任し、三省において横浜防衛施設局長に対し係争地につき不動産買上申請をするなどして折衝して来たが効を奏さなかつたので、右控訴人は本訴を提起するに至つたものであることが認められる。

右認定事実によれば、控訴人名和は、本件係争地は太平洋戦争中に被控訴人が買収してその所有権を取得したが、その登記が未了であることを知悉し、これを奇貨として、本件(三)の土地を取得し、被控訴人を登記欠缺の故に右土地の所有権を主張しえない立場において、利益を得る目的で右土地を取得したものと推認せざるをえない。したがつて、右控訴人は、いわゆる背信的悪意者にあたり、登記の欠缺を主張するにつき正当な利益を有する第三者にあたらないものというべきである。それ故、被控訴人は、所有権移転登記を経由することなく、右控訴人に対し本件(三)の土地の所有権取得を対抗しうるものというべきであり、右控訴人の本訴請求は失当として排斥を免れない。

よつて、控訴人らの本訴請求をいずれも棄却した原判決は相当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 蕪山厳 安国種彦 浅香恒久)

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